サーフィンの素晴らしを40年間以上、この茅ケ崎の地で伝えながら、
日本のサーフシーンの一翼を支え、
健全なサーフィンの普及に努めてきたフリュードパワーサーフクラフト。
その原動力がオーナー藤澤ジョージのサーフィンへの情熱。
多感な10代にハワイでサーフィンに出会い、
その未知なるスポーツの魅力に取りつかれた青年の物語がここにある。
人生を変えた出会い“ランディ・ラリック”とのツーショット
(オープン当時のショップ前にて)
1965年にハワイに渡ったオーナーの“藤澤ジョージ”は、その地で育まれた伝統のスポーツ『サーフィン』に、そして生涯に渡り師事すりることとなるサーフィン界の重鎮“ランディ・ラリック”と出会う。日本では想像もつかないようなスピードで、アメリカ国内、特にハワイやカリフォルニアの若い世代に急速に広まりだすサーフィンとそれを支えるサーフィンインダストリー業界に身を置いた10年は、まさに自身の人生を大きく変える経験となった。日本に戻った“藤澤ジョージ”は、この素晴らしスポーツを日本にも広めたいとの思いから、この茅ケ崎の地でサーフショップを開業する。1975年のことである。そして、自身のサーフショップを経営しながら、日本のサーフィン業界のために、陰に日向に尽力し、今の日本のサーフィン文化の礎を築いた一人となっていく。その行動の原動力は海の中で、裸で遊び、競い合う『サーフィン』というスポーツを愛してやまない気持ちである。その素晴らしい魅力のひとつが、みんなのハートに火をつけると同時に、笑顔をもたらすこと。歴史と伝統のサーフショップには、本物の『サーフィン』がある。
藤澤ジョージの傍らで、笑顔でほほ笑むのが、フラダンサーでもある妻加代子。フリュードパワーサーフクラフトを陰で支える経営のプロ。著名な会社の監査役を務めた父から学んだ会社経営のイロハを実践する。お店にとって、会社にとって、何が駄目で、何が正しいのか。40年もの長く会社を継続的に運営していくことは、並大抵のことではない。フリュードパワーサーフクラフトの発展を二人三脚支えてきといえる。藤澤ジョージが自由にサーフィンを楽しめる環境があるのも、内助の功があってなのかもしれない。そして、その人柄にお店を訪れる多くのサーファーが引き付けられてきた。その笑顔が、フリュードパワーサーフクラフトのもう一つの顔である。
藤澤ジョージ&加代子、お店の物語は2人の物語でもある
店名の“Fluid Power Surf Craft”にも誕生秘話があった
店名の名付けの親は、藤澤ジョージのソウルメイト、ランディ・ラリック氏。茅ケ崎は加山雄三通りの今よりも駅寄りに店舗を構えた時の店名は、上の写真の中にもあるように、現在のオリジナルサーフボードブランドである「Surf Bum」であった。しかし、今後日本でもますます発展するであろうサーフィン業界の将来を見据へ、「“Bum”という英語の意味(放浪者、怠け者)が、すこしマイナスイメージが強いので変えた方がいいと思うよ」というアドバイスをいただき、流体とか流麗とか、サーフィンの動きや波をイメージできる“Fluid”と“Power”をくっ付けた科学用語(流体力とか流体動力と訳される)に、サーフボードだけでなく、まさにサーフィンそのものを手作りで日本に広めていきたいとの思いを持つ“Surf Craft”をたした英語4文字が店名になったのである。この名に恥じぬように、サーフィン業界に貢献してきた歴史がここにある。
- 1975年
- 茅ケ崎加山雄三通りに1号店オープン
- 1978年
- JPSA(日本サーフィン連盟)発足
藤澤ジョージA級公認プロ(シードプロ)6名の内の1名に公認される
- 1979年
- 同茅ケ崎加山雄三通り2号店へ移転
(店名をフリュードパワーサーフクラフトに変更)
- 1995年
- 子供サーフィンスクールスタート(現在も継続中)
- 1999年
- 同茅ケ崎加山雄三通り3号店(現在の店舗)へ移転
- 2015年
- 創業40周年記念パーティー開催(鎌倉プリンスホテル)
有限会社フリュイドパワー サーフクラフト
代表取締役 藤澤譲二