Blog

サーファーズジャーナル日本版 ジョージさんの素顔にせまる

2018.09.19 | by fluid

サーフィン雑誌の中では、いい写真も多いですが、読みどころ満載という文章の多いことで知れている

ザ サーファーズ ジャーナル(日本版)27・3号が9月10日に発売になりました。

今号の中では、10ページに渡り、フリュードパワーのオーナーであるジョージさん(藤澤ジョージ)の素顔にせまります。

生い立ちから若かりし時代の成長の日々、そして数々の経験を交え、サーフィン、ショップのについてのお話とジョージさん個人の魅力について

ライター森下茂男さんが文章を綴っています。

ぜひご一読くださいませ。

¥1,900+TAXです。お店で注文できますよ!!

以下 サーファーズジャーナルホームページより抜粋させていただきました。

TSJ27.3

<フィーチャーストーリー>
今号の日本版のオリジナルコンテンツは、茅ヶ崎でフリュードパワー・サーフショップを経営する藤澤譲二の知られざる素顔をお届けしよう。藤澤がサーフィンと出合うのは、彼が15歳のとき、1965年ハワイに住みはじめてからだ。そして、ハワイではじまったショートボード革命を間近で体験した数少ない日本人サーファーのひとりとなった。

 

 

Hawaii Set Me on the Road to the “Straight And Narrow”
「ふたつの故郷を持つ藤澤譲二の、ふたつの素顔」

TSJジョージふじさわ

 

15歳の少年がひとり、ハワイへ旅立った。
不登校で不良少年だった息子の行く末を案じた母親の決断だった。
それが、サーフィンとの運命の出合いとなった。
それから53年後、ハワイの海と潮風がその少年を本物の海の男へと磨き上げた。
文:森下茂男
東京オリンピックの翌年、1965年、藤澤譲二15歳のとき、ひとり、ハワイへ旅立った。理由は、藤澤が中学校を卒業できず、また遊び仲間の先輩やハーフの遊び人たちに可愛がられ、ヤクザのお兄さんから“うちの組に入らないか”とリクルートされるほど、本物のワルの世界に足を踏み入れようとする息子に母親が危険を察知したからだった。